「日本の古民家」探訪の最近のブログ記事

 

目加田家住宅(山口県岩国市)は、
江戸時代中期、18世紀中頃に建てられた武家屋敷です。
岩国の武家屋敷は、連なるアーチの美しさで有名な「錦帯橋」が架かる
川である錦川の氾濫に備えて、2階建てが多かったようです。屋敷を外
から見ると、入母屋屋根の大屋根が架かり平屋に見えます。これは藩主
が通る際に見下ろすことがないように配慮したものと言われています。
また瓦は、2種類の瓦を交互にした「二平葺き(にひらぶき)」と呼ば
れる葺き方で、独特の外観をしています。
簡素ながらも保存状態が良いことから、重要文化財に指定されています
。写真を見ると、確かに派手さはないかもしれません。しかし、着実な
仕事をしてきたからこそ、現在まで良い状態で残されてきました。こう
いう仕事を当社でもしていきたいと思います。

目加田家住宅(山口県岩国市)は、江戸時代中期、18世紀中頃に建てられた武家屋敷です。

岩国の武家屋敷は、連なるアーチの美しさで有名な「錦帯橋」が架かる錦川の氾濫に備えて、2階建てが多かったようです。屋敷を外から見ると、入母屋屋根の大屋根が架かり平屋に見えます。これは藩主が通る際に見下ろすことがないように配慮したものと言われています。

また瓦は、2種類の瓦を交互にした「二平葺き(にひらぶき)」と呼ばれる葺き方で、独特の外観をしています。

目加田家住宅は、簡素ながらも保存状態が良いことから、重要文化財に指定されています。写真を見ると、確かに派手さはないかもしれません。しかし、着実な

仕事をしてきたからこそ、現在まで良い状態で残されてきました。こういう仕事を当社でもしていきたいと思います。


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年末、年始に帰省した際、お祖父様、お祖母様にご挨拶された方も多い
かと思います。築年数が経っているため、廊下など所々寒いのですが、
家族の暖かさを感じる。個人的に古民家というと、帰省したときの祖父
母の家を思い出します。
今回ご紹介する旧下ヨイチ運上屋(北海道余市町)も、囲炉裏の煙で燻
された、懐かしい匂いのする建物です。「運上屋」とは江戸時代、松前
藩が行っていたアイヌとの交易を請負った商人が、経営の拠点とした建
物で、旧下ヨイチ運上屋は現存する唯一の運上屋です。
正面左側は囲炉裏を中心とした板敷きの大空間が広がり、梁組が見事で
す。右側は応接のための座敷が、廊下の両側に整然と並びます。こちら
は続き間ではなく個別の部屋になっているのが特徴です。また海沿いで
風が強いため、屋根には約3,000個の石が置かれています。
余市といえば、現在放映中のNHKの連続テレビ小説「マッサン」のモデ
ルとなった竹鶴正孝氏による、ニッカウイスキーの工場が有名です(こ
の工場も石積みの立派な建築で、見学や試飲ができます)。
そしてもう一つ、共栄ホームズとしてはこちらの方が重要なのですが、
長野オリンピック・スキージャンプ金メダリストの船木和喜選手の出身
地です。
このように、当社は余市と不思議な縁があります。いつかは社員で訪れ
てみたいと思います。また、仕事でもこうした縁を大事にしたいと思い
ます。

年末、年始に帰省した際、お祖父様、お祖母様にご挨拶された方も多いかと思います。築年数が経っているため、廊下など所々寒いのですが、家族の暖かさを感じます。個人的に古民家というと、帰省したときの祖父母の家を思い出します。


今回ご紹介する旧下ヨイチ運上屋(北海道余市町)も、囲炉裏の煙で燻された、懐かしい匂いのする建物です。「運上屋」とは江戸時代、松前藩が行っていたアイヌとの交易を請負った商人が、経営の拠点とした建物で、旧下ヨイチ運上屋は現存する唯一の運上屋です。


正面左側は囲炉裏を中心とした板敷きの大空間が広がり、梁組が見事です。右側は応接のための座敷が、廊下の両側に整然と並びます。こちらは続き間ではなく個別の部屋になっているのが特徴です。また海沿いで風が強いため、屋根には約3,000個の石が置かれています。


余市といえば、現在放映中のNHKの連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなった竹鶴正孝氏による、ニッカウイスキーの工場が有名です(この工場も石積みの立派な建築で、見学や試飲ができます)。


そしてもう一つ、共栄ホームズとしてはこちらの方が重要なのですが、長野オリンピック・スキージャンプ金メダリストの船木和喜選手の出身地です。


このように、当社は余市と不思議な縁があります。いつかは社員で訪れてみたいと思います。また、仕事でもこうした縁を大事にしたいと思います。


 

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白漆喰塗りの土蔵と、赤褐色の石州瓦による、明るい印象の街並みです。玉川に架
けられた一枚板による石橋も、華やかさを演出しています。
石州瓦は三州瓦、淡路瓦と並び日本三大瓦の一つと称されています。石州とは現在
の島根県西部にあたり、山陰では赤い瓦の民家が一般的です。他の産地の瓦よりも
高温で焼成するため、冬の大雪や寒さに強く、山陰の気候風土に適しています。北
前船の時代(江戸時代)より、遠く北陸・北海道まで運ばれており、性能の高い瓦
は重宝したと思われます。
腰壁の部分は杉の板を縦張りにしたもので、焼いた杉板を用いることもあります。
当社でも再生住宅を中心に、壁を白、腰壁を濃い色にして外観に安定感を与えるこ
とがありますが、打吹玉川の街並みも同様に落ち着いた街並みとなっています。
瓦屋根と漆喰壁による街並みは、日本の古い街並みの典型的な姿です。しかし典型
的な姿の中にも、日本各地では少しずつ差があり、その違いにそれぞれの地域特有
の価値がある。そこに暮らす人にとっては当たり前だけど、その当たり前が受け継
いでいきたい大事なものである。打吹玉川の街並みは、そうしたことに気づかせて
くれます。

今回ご紹介する「打吹玉川の街並み」(鳥取県倉吉市)は、白漆喰塗りの土蔵と、赤褐色の石州瓦による、明るい印象の街並みです。玉川に架けられた一枚板による石橋も、華やかさを演出しています。

石州瓦は三州瓦、淡路瓦と並び日本三大瓦の一つと称されています。石州とは現在の島根県西部にあたり、山陰では赤い瓦の民家が一般的です。他の産地の瓦よりも高温で焼成するため、冬の大雪や寒さに強く、山陰の気候風土に適しています。北前船の時代(江戸時代)より、遠く北陸・北海道まで運ばれており、性能の高い瓦は重宝したと思われます。

腰壁の部分は杉の板を縦張りにしたもので、焼いた杉板を用いることもあります。当社でも再生住宅を中心に、壁を白、腰壁を濃い色にして外観に安定感を与えることがありますが、打吹玉川の街並みも同様に落ち着いた街並みとなっています。

瓦屋根と漆喰壁による街並みは、日本の古い街並みの典型的な姿です。しかし典型的な姿の中にも、日本各地では少しずつ差があり、その違いにそれぞれの地域特有の価値がある。そこに暮らす人にとっては当たり前だけど、その当たり前が受け継いでいきたい大事なものである。打吹玉川の街並みは、そうしたことに気づかせてくれます。

最近、ご紹介したい事が多かったため、「日本の古民家」探訪は久しぶりになりました。再生ギャラリー「Classic館」でも写真を展示していますので、是非お越しください。

 

 

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今回は能登半島にある、上時国家住宅(石川県輪島市)をご紹介します。

時国家は江戸初期から続く豪農で天領大庄屋を務めた名家です。

住宅は江戸後期に21代当主が28年をかけて建築したと伝えられています。
まずは巨大な屋根が目を引く外観で、茅葺の入母屋屋根に、瓦葺きの庇を廻していま
す。玄関はカーブが曲がった唐破風のけやき造りで、中は公用部分とプライベートな
部分を分けています。公用部分の中心には、縁金折上格天井の「大納言の間」を置い
て、その格式を表しています。庭園も見事で、鎌倉時代の様式とされています。
今回は、三和土(たたき)と呼ばれる土間に注目したいと思います。
三和土とは消石灰、にがり、粘土入りの山砂利を混ぜて練り、床に塗り、小槌で叩い
て固めた土間をいい、左官職人の手によるものです。三種類の土を混ぜたことから「
三和土」と書く、とも言われています。三和土は痛みにくく、格の高い民家の土間に
用いられてきました。
現代を基準にすると、凹凸が目に付きあまり良い状態と言えません。
しかし、網目状に広がる独特の模様や、入口からの光が苔の生えた床に反射し、内部
が緑色の光に包まれた空間は、
長い時間受け継がれてきた古民家ならではのものです。
このような空間は、初めから予想していた訳ではないと思います。しかし、長く使う
ことができる建築を造り上げれば、ご褒美のように新たな魅力が生み出される
事もあります。目立たない場所、簡素なデザインであっても確かな仕事をすることの
大切さを、三和土は教えてくれている気がします。

住宅は江戸後期に21代当主が28年をかけて建築したと伝えられています。まずは巨大な屋根が目を引く外観で、茅葺の入母屋屋根に、瓦葺きの庇を廻しています。玄関はカーブが曲がった唐破風のけやき造りで、中は公用部分とプライベートな部分を分けています。公用部分の中心には、縁金折上格天井の「大納言の間」を置いて、その格式を表しています。庭園も見事で、鎌倉時代の様式とされています。

今回は、三和土(たたき)と呼ばれる土間に注目したいと思います。

三和土とは消石灰、にがり、粘土入りの山砂利を混ぜて練り、床に塗り、小槌で叩いて固めた土間をいい、左官職人の手によるものです。三種類の土を混ぜたことから「三和土」と書く、とも言われています。三和土は痛みにくく、格の高い民家の土間に用いられてきました。

現代を基準にすると、凹凸が目に付きあまり良い状態と言えません。しかし、網目状に広がる独特の模様や、入口からの光が苔の生えた床に反射し、内部が緑色の光に包まれた空間は、長い時間受け継がれてきた古民家ならではのものです。このような空間は、初めから予想していた訳ではないと思います。しかし、長く使われる建築を造り上げれば、ご褒美のように新たな魅力が生み出される事もあります。目立たない場所、簡素なデザインであっても確かな仕事をすることの大切さを、三和土は教えてくれている気がします。 

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富山の人にとって、金沢は割と気軽に遊びに行くことができる街です。その金沢の郊外にも、是非一度は訪れてもらいたい建物が残されています。それが「喜多家住宅」(石川県野々市市)です。

喜多家住宅は町屋で、通りから見た外観からは想像できませんが、中には豊かな空間が広がります。玄関をくぐり通り庭へ進むと、上には美しい梁組が広がっています。

中は数奇屋風(茶室風)で、通り庭の梁組のような水平と垂直が整った一般的な和室のイメージと違い、自由な造りとなっています。そこから眺める庭も見事なものです。

奥に残されている蔵は、喜多家が幕末から行っていた酒造りのために使われていたものです。実は住宅も一度火災に遭ったため、明治期に市内から移築してきたものです。

通り庭の吹き抜けが現代の住宅にあったとしたら、冬寒くて嫌がられるかもしれません。しかしながら、木の柱や梁による空間は建築だけが持つ魅力で、他に代え難い。ここを訪れたとき感じました。

 

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民家というと、太い柱梁や立派な屋根を載せた和風の建物をイメージしますが、今回は洋館の邸宅をご紹介します。

「旧グラバー邸」(長崎県長崎市)は、鎖国が終わった幕末に、商機を求め長崎へ渡ってきたスコットランド人・グラバーの邸宅です。

まず目につくのはベランダです。ベランダは東南アジアにヨーロッパの人々が進出したとき、蒸し暑い現地の生活を少しでも快適にするために設けられたものです。日本の夏も蒸し暑いので、グラバー邸にも設けられました。

バルコニーの天井は涼しげですが、実際には鳥が巣を造らない工夫が必要ということで、メンテナンスが大変そうです。現代の住宅なら、別の方法で涼しさを感じさせると思いますが、先人のこうした失敗が生きているのではないでしょうか。

バルコニーのアーチや、八角形を使った平面、壁のペンキ塗りも、異国情緒を感じさせます。

グラバー氏が高台にあるこの邸宅から、眼下に広がる港を眺めながら、商談をしたり、家族と休日を過ごしたりする様子が目に浮かぶようでした。

 

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週末、2週続けて台風が日本列島を直撃しました。そこで今日は、台風に関連した古民家をご紹介します。

「いしぐろの町並み」(高知県室戸市)は、台風銀座と呼ばれる室戸岬に近い集落だけあって、雨風に備えた造りになっています。この地域は古くから農林業が盛んで、木材や薪などを京阪神に運んで潤ったといいます。明治に入ると木炭の生産が始まりました。吉良川炭と呼ばれる白炭は、黒炭より固くて火力が強く、長時間持つため、備長炭の中では最高クラスとされました。

こうして財を成した人達が造り上げたのが「いしぐろの町並み」です。「いしぐろ」とは風から家を守る塀のことで、半割りにした玉石と、大きな角ばった石による石垣が独特の表情を見せています。

土蔵には壁に庇が幾重にも付けられていて、横から叩きつける雨水を逃し漆喰の白壁を保護してくれます。屋根勾配も、強い風を考えてか比較的緩やかになっています。

壁についた庇を初めて見たときはびっくりしました。最初、壁に庇を付けた人は、色々言われたかもしれませんが、理にかなったデザインです。正しいと信じたものは勇気をもって実行していく、それを「いしぐろの町並み」は伝えているのではないでしょうか。

 

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「日本の古民家」探訪もその3となりました、その1、その2では県外の民
家を紹介してきましたが、今回は県内の民家「武田家住宅」(富山県高岡市
)をご紹介します。
武田家は、武田信玄の弟・逍遙軒信綱の子孫と伝えられ、代々地区の代表で
ある肝煎(きもいり)を勤めた家系です。江戸時代後期の安永年間(1772~
1780)に、高岡市伏木の勝興寺本堂が再建されたときの余材で建てられたと
も言われています。
武田家住宅を訪れると、まずは立派な屋根にひかれます。ここでは屋根の材
料として、主に茅、瓦、こけらが使われています。同じ屋根でも材料によっ
て随分と印象が違いますが、使い分けることで武家住宅らしい洗練された雰
囲気となっています。現代の住宅で、これほどの立派な屋根を載せるのは難
しいですが、古民家には、住宅を設計する際のヒントが隠されていると思い
ます。
内部も立派な造りとなっていて、ワクノウチや続き間の座敷、庭を望む縁側
など、農家住宅の造りを基本としていて、古材の魅力を味わうことができま
す。古民家探訪の楽しみの一つは、木材にあります。太さや長さのある立派
な木材、手に入れることが難しい希少な材を使うことは、当時の財力や権力
の象徴でもありました。こうした木材による空間が現代に受け継がれること
は、とても価値のあることだと、訪れる度に感じます。

「日本の古民家」探訪もその3となりました、その1、その2では県外の民家を紹介してきましたが、今回は県内の民家「武田家住宅」(富山県高岡市)をご紹介します。

武田家は、武田信玄の弟・逍遙軒信綱の子孫と伝えられ、代々地区の代表である肝煎(きもいり)を勤めた家系です。江戸時代後期の安永年間(1772~1780)に、高岡市伏木の勝興寺本堂が再建されたときの余材で建てられたとも言われています。

武田家住宅を訪れると、まずは立派な屋根にひかれます。ここでは屋根の材料として、主に茅、瓦、こけらが使われています。同じ屋根でも材料によって随分と印象が違いますが、使い分けることで武家住宅らしい洗練された雰囲気となっています。現代の住宅で、これほどの立派な屋根を載せるのは難しいですが、古民家には、住宅を設計する際のヒントが隠されていると思います。

内部も立派な造りとなっていて、ワクノウチや続き間の座敷、庭を望む縁側など、農家住宅の造りを基本としていて、古材の魅力を味わうことができます。古民家探訪の楽しみの一つは、木材にあります。太さや長さのある立派な木材、手に入れることが難しい希少な材を使うことは、当時の財力や権力の象徴でもありました。こうした木材による空間が現代に受け継がれることは、とても価値のあることだと、訪れる度に感じます。

 

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建築に興味のある方でしたら「南部の曲り屋(マガリヤ)」という言葉を聞
いたことがある人もいるかと思います。今回の「日本の古民家」探訪は、南
部の曲り屋を代表する「千葉家住宅」(岩手県遠野市)です。
「曲り屋」とは馬小屋(ウマヤ)と人間の生活空間(オモヤ)を直角に配置
して、L字型で一体にした民家のことをいいます。
江戸時代後期に建てられ、一時期は25人と20頭の馬が一軒の家で生活してい
た。遠野は内陸と沿岸を結ぶ交通の要衝として栄え、馬が主要な移動手段だ
った時代、多くの曲り屋が建設されていました。
この民家は、城郭のような石垣と、巨大な茅葺屋根の、迫力ある外観に圧倒
されます。また敷地内に遺されている蔵や神社も古く、状態も良く魅力的で
す。

建築に興味のある方でしたら「南部の曲り屋(マガリヤ)」という言葉を聞いたことがある人もいるかと思います。今回の「日本の古民家」探訪は、南部の曲り屋を代表する「千葉家住宅」(岩手県遠野市)です。

「曲り屋」とは馬小屋(ウマヤ)と人間の生活空間(オモヤ)を直角に配置して、L字型で一体にした民家のことをいいます。江戸時代後期に建てられ、一時期は25人と20頭の馬が一軒の家で生活していました。遠野は内陸と沿岸を結ぶ交通の要衝として栄え、馬が主要な移動手段だった時代、多くの曲り屋が建設されていました。

この民家は、城郭のような石垣と、巨大な茅葺屋根の、迫力ある外観に圧倒されます。また敷地内に遺されている蔵や神社も古く、状態も良く魅力的です。

 

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建築に関わる仕事をしている人はたいてい建築好きで、休みの日も各地の建築を見てまわる、という人が多くいます。ご多分にもれず当社の社員も、時間を見つけてはあちこち歩いています。
その際に撮影してきた写真を、今後少しずつお届けしたいと思います。写真を通じて、建築の魅力や、家づくりの楽しさを再発見してもらえればと思います。
 


最初にお届けするのは、「旧花田家番屋」(北海道小平町)です。

 

明治から大正にかけて、北海道沿岸ではニシンを中心に豊漁の期間が続き、その間本州から北海道へ、1年のうちに何ヶ月か漁夫として働きに行っていた人達がいました。

番屋とは、漁場を経営する網元と、彼ら漁夫が一緒に生活するための建築で、北海道ならではの建築です。
番屋では網元の住まいと、漁夫の生活する場所が半々に別れています。網元の住まいは座敷や床の間など、貴重な木材を使いながら格式高く仕上げられています。漁夫の場所は、「ネダイ」と呼ばれる寝台がコの字型に配置され、全体に大きな屋根を架けた迫力ある空間が広がっ
ています。
今でこそ木造でも大規模な建築を造ることは可能ですが、100年以上前(明治38年頃建築)にこれほどの大きさで造られたことは驚きです。

 

 

 

 

 

 

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