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社員旅行 北海道 ③

「五稜郭」を 後にした 我々は 函館の 元町へと むかいました。元町とは 昔ながらの 函館の建築方法で 温存されている 建物が 多くある場所です。

 

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函館とは ペリーが 開港を迫り 日本でも 外国文化が 入りこむ土地と なった港町です。 外国文化の先駆けと なった場所です。 日本では開拓も遅かった 北海道にとって、また 新天地 蝦夷にわたってきた 開拓者の素質を持った北海道民の 柔軟な好奇心ある人々にとって 外国文化が溶け込むのも 比較的 容易だったのだろうと 思います。

露骨に 建物に 現れているのです。

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上の写真でも あるように 1階が 和風造りで、2階が 洋風造り という 一風変わった 家の外観です。元町には このような 建物ばかりです。 これが 当時 函館では ものすごい建築ブームに のっかり 一気に 広まったそうです。函館といえば「レンガ造り」という イメージが あるかもしれませんが、当時 レンガは超高級品であり 一般建築物には費用がかかりすぎて 採用されませんでした。

富山県の人にしてみれば 「ありえない家」と 思われるかもしれません。和洋折衷にも ほどが あるよ、、、 という感想を持たれるのでは ないでしょうか。

当時この 斬新な デザインを 受け入れる 開拓者北海道民の 豊かな感受性。この 感受性が ここまで 北海道 札幌、函館を 有名にし 発展させた 要因では なかろうかと思います。

さて 富山は どうでしょう。日本海に面する 港が あるにも関わらず、キリスト教信者も少なく、建築物も 和風ばかり。 たぶん 海外文化が伝来した時も、富山県民の人達の感受性が もっと豊かだったら 今の過疎化の進む富山とは 少し違う 形になっていたのかもしれないと 函館を見ていると ついつい そう 考えてしまいます。富山の人の考え方は 今では 軟らかくなりましたが どちらかというと 昔からの風習を 重んじる 所が あるような気がします。 今でも 葬祭業も 都会に比べると 遅れをとっています。その証拠に 富山の 葬祭業には 価格破壊がないのです。高いまま それは もう深い深い根がはってしまっています。 それも 葬儀に参列する人が 多い富山ならではの価格帯。都会とは違う意味で(少子化) 参列者が 少なくなる 現代、もうその価格帯が 払える時代では なくなっていくのは 目に見えています。

富山県 という県 私の 故郷 好きな県です。 新しいモノを頭も無しに排除するのではなく 感受性を持ち  もっと 活性して 頂きたい。これは 企業側の 我々にも 言えることであります。 その為には 年配者のアドバイス 若い力が必要です。 若者 都会へ憧れるのはわかりますが 富山を見捨てず 活性化に 一役かってほしい。 あなたの 生まれ育った 大切な「家」は どこにもない 富山に あるんです。

都会に出て 感受性を 磨いてくるのもいい 

でも 忘れないでほしい 富山で生まれ育ったことを 大切な家があることを   

 

なんか  寂しいじゃないですか、、、