7月25日は 私の 誕生日でした
2010.7.26
この世に 生を受けたものなら 誰もが持つ 1年に一度の 誕生日という日。富山市 ひかりのもり にて 新築完成見学会を 行っていた 7月25日は、私の 誕生日でした。ちなみに 芸能人でいうと 高島礼子さんと 同じ日です。 お昼は 見学会で 仕事でしたので 家へ帰ってから、奥さんと 子供と3人で 「ハッピーバースデー ツーユー!」と 大声で合唱しながら 夕食(ケンタッキー)を食べました。
子供の頃は、凄く特別な日だった事を覚えています。この日だけは 自分が主役で プレゼントまで 買ってもらえるという 素晴らしい日でした。 当時 生クリームのケーキが高価で、バタークリームのケーキも方が 値段が同じで 大きかったので よくバタークリームのケーキを買ってもらったのを覚えています。しかし バタークリームのケーキって 食べても あまり美味しくない(そんなに甘くない)のに加え 食べ過ぎると気持ち悪くなってしまったのを 覚えています。
誕生日プレゼント。子供の頃 当時 任天堂のスーパーファミコンが 発売していて 凄く欲しかったのですが、これが また高くて 小学6年間 スーパーファミコンのプレゼントを希望し待ち続けましたが 結局 買ってもらえず、はじめて 買ってもらえたのが 中学に入ってからでした。その頃には もう時代は流れ ソニーのプレイステーションなどが流行りはじめて いましたっけ。今の小学生くらいの年代って ニンテンドーDSが 無いと友達が出来ないとまで 聞きました。凄い時代だと思いました。私の場合 毎年 希望通りのプレゼントでは なかったにしろ 何かかしらの イベントが 「親」より もらえ とても幸せでした。寂しく感じることは ありませんでした。モノには 代えがたい 愛情を もらっていました。その為か いまだに誕生日となると ウキウキしてしまいます。
誕生日とは 大なり小なり 特別な日でした。
誕生日というものは 人だけのモノではありません、「家」にだって 誕生日があります。引渡しの日、施主様が 本カギで 玄関の戸を開いた時 産声を 上げるのです。 その日以来 工事用キーは破棄され 我々は もう入れなくなります。 その時の正直な気持ちを言うと 嬉しい気持ち 寂しい気持ち 半々です。
その誕生日から 春夏秋冬を経験し 家が一歳(築1年)に なったころ 誕生日を祝うまでとは言い過ぎかもしれませんが、我々の近親者の誕生日を祝うかのような気持ちで 1年点検に 伺います。その頃 伺うと 我々が 手掛けた家が 綺麗に家具などで 飾り付けられた姿を目にします。 それを目にした瞬間 何故か 笑顔に なります。
去年の夏 共栄ホームズで 新築された 数々の家も 誕生日を迎えることになります。人間も1年間あれば 体調を崩したりします。家も1年を通して木材の収縮などで クロスの一部が 剥がれてきたりもします。それを 修復するのも 我々の責任であります。
ですから 「親」としての建築屋が 建築した「子」同然の「家」の 誕生日を 忘れるということは 非常に寂しいことではないでしょうか。 施主様が 信頼を抱き 二人三脚で施工させて頂いた家が 完成した 最高の記念日です。 忘れてはいけません。
そう思います。
また 私自身 本年も 誕生日を 迎えられたことに 感謝します。ありがとう 皆さんの お陰で 今日も 元気に生きています。明日は 持病の定期健診で 富山大学付属病院に 検査に 行ってきます。何もなければいいのですが。 また 皆さんに 会える事を 楽しみに またこのパソコンの前に きっと帰ってきます。