我が家の エガちゃん
2011.6.18
江頭2:50 という芸人さん を知っておられると思います。
TV番組に たまに出てきて 私達を 笑わせてくれます。
独身時代や 新婚の時などは こんな風に TV番組などから 笑いを もらっているような生活でした。 向こう側(TV側)も こちらを(視聴者)を 笑わせようという意図が ある為、必然とこうなるのは 目に見えて 明らかなのですが、
子供ができてから 予期せぬ 笑いという事が 断然と増えました。
向こうが 笑わせようと思ってやっていないのが なおの事 面白いのですが、
これは、お風呂に入る前に 逃げ回っているところを 激写したのですが、「江頭2:50みたい!」 と 夫婦で 大笑いでした。
人間って どうしても 何かの拍子で カーッと怒りの感情が湧き上がる時は 誰もが ある事なのですが、そんなときの 鎮痛剤って なかなか 持ってないんです。仮に あったとしても 常服は 身体にも 良くないだろうし。
鎮痛剤変わりと言っては 言葉は悪いですが、やっぱりそんな時は 子供を見ると 幾分か 気持が落ち着くものだと感じます。
今 思えば、そんな 「存在」 というのが、移り変わってきた気もします。
幼少期は 両親の「存在」 だったり、 青春時代は 愛しの彼女だったり 友人だったり 奥さんの「存在」だったり、そして 自分が親になると 自分の子供の「存在」 がそうなんだと 気付いたり。
この先 私が 年老いた時には どのような「存在」が 私を 多方面から 癒してくれるのだろうと 思います。 それは 孫 だったり 美しい景色や土地だったりするのでしょうか?それとも 長年 寄り添ってくれた 奥さんなのか それは まだ想像できません。
間違いかもしれませんが、年老いた時、それまでの いろいろな人生の経験、集大成で その「存在」は、変わってくるのかもしれないとは 思うのです。
でも これらの根底には、家族 皆 帰るべき 「家」 があるのです。