欠けてはじめて気付く事

富山にも もう3月下旬に関わらず 雪が降り積もりました

テレビでは 今もなお 東北地方太平洋沖地震のニュースが 流れていまして、ニュース内容もだんだんと 被災者の生の声というのが 多く見受けられるようになってきた印象を受けました。

たぶん 私と同じ 映像を見られた方は 多いのではないでしょうか? その映像というのが 小学生くらいの女の子が 複雑な表情をし「普通に家族といて 普通に 食事して、普通に過ごしていた今までが いかに幸せだったか わかりました。」という 言葉が 印象に残っています。私が実際の被災者だったら 震災に対し どうして自分たちが、、、 何故こんな目に遭わなければならないのか、、、とか 恨みつらみの言葉しか出てこないかもしれません。女の子の事を 精神的に尊敬の眼差しで見ていました。

これを聞いて 可哀相だと 思う感情も持ちましたが、それよりも、この女の子は これからの人生 幸せというモノを 噛みしめて生きてゆけるのだなぁと思い、とても なにか震災の中に 光るモノを目にした気持ちでした。

人が生む さらなる欲求が 人をこれだけ繁栄させてきたのかもしれません 物理的繁栄、精神的繁栄は 共に伸びることは難しいのかもしれません、 

 

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