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当社では今月、新築住宅が3件着工しました。それに伴い、先週はA様邸、今週はM様邸の地鎮祭を執り行いました。

地鎮祭とは、その土地の神を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得ることで、これから行われる工事の安全と、家族の反映をお祈りする儀式です。

A様邸の地鎮祭は小雨の降るあいにくの天気でしたが、厳かな祭事となりました。また今後、本格的に工事が行われるということで、嬉しさの中にも緊張感が見られる、若いご夫婦の表情が印象的でした。

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M様邸の地鎮祭は天気に恵まれ、ご家族の方にも大勢お集まりいただきました。これから家づくりが始まっていくという、前向きな空気が会場に溢れていました。

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A様邸、M様邸とも敷地は住宅団地にあり、静かで良い環境です。社員一同、これから始まる新しい場所での落ち着いた生活のお手伝いをさせていただきたいと思います。


「日本の古民家」探訪

富山の人にとって、金沢は割と気軽に遊びに行くことができる街です。その金沢の郊外にも、是非一度は訪れてもらいたい建物が残されています。それが「喜多家住宅」(石川県野々市市)です。

喜多家住宅は町屋で、通りから見た外観からは想像できませんが、中には豊かな空間が広がります。玄関をくぐり通り庭へ進むと、上には美しい梁組が広がっています。

中は数奇屋風(茶室風)で、通り庭の梁組のような水平と垂直が整った一般的な和室のイメージと違い、自由な造りとなっています。そこから眺める庭も見事なものです。

奥に残されている蔵は、喜多家が幕末から行っていた酒造りのために使われていたものです。実は住宅も一度火災に遭ったため、明治期に市内から移築してきたものです。

通り庭の吹き抜けが現代の住宅にあったとしたら、冬寒くて嫌がられるかもしれません。しかしながら、木の柱や梁による空間は建築だけが持つ魅力で、他に代え難い。ここを訪れたとき感じました。

 

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「日本の古民家」探訪

民家というと、太い柱梁や立派な屋根を載せた和風の建物をイメージしますが、今回は洋館の邸宅をご紹介します。

「旧グラバー邸」(長崎県長崎市)は、鎖国が終わった幕末に、商機を求め長崎へ渡ってきたスコットランド人・グラバーの邸宅です。

まず目につくのはベランダです。ベランダは東南アジアにヨーロッパの人々が進出したとき、蒸し暑い現地の生活を少しでも快適にするために設けられたものです。日本の夏も蒸し暑いので、グラバー邸にも設けられました。

バルコニーの天井は涼しげですが、実際には鳥が巣を造らない工夫が必要ということで、メンテナンスが大変そうです。現代の住宅なら、別の方法で涼しさを感じさせると思いますが、先人のこうした失敗が生きているのではないでしょうか。

バルコニーのアーチや、八角形を使った平面、壁のペンキ塗りも、異国情緒を感じさせます。

グラバー氏が高台にあるこの邸宅から、眼下に広がる港を眺めながら、商談をしたり、家族と休日を過ごしたりする様子が目に浮かぶようでした。

 

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「日本の古民家」探訪

週末、2週続けて台風が日本列島を直撃しました。そこで今日は、台風に関連した古民家をご紹介します。

「いしぐろの町並み」(高知県室戸市)は、台風銀座と呼ばれる室戸岬に近い集落だけあって、雨風に備えた造りになっています。この地域は古くから農林業が盛んで、木材や薪などを京阪神に運んで潤ったといいます。明治に入ると木炭の生産が始まりました。吉良川炭と呼ばれる白炭は、黒炭より固くて火力が強く、長時間持つため、備長炭の中では最高クラスとされました。

こうして財を成した人達が造り上げたのが「いしぐろの町並み」です。「いしぐろ」とは風から家を守る塀のことで、半割りにした玉石と、大きな角ばった石による石垣が独特の表情を見せています。

土蔵には壁に庇が幾重にも付けられていて、横から叩きつける雨水を逃し漆喰の白壁を保護してくれます。屋根勾配も、強い風を考えてか比較的緩やかになっています。

壁についた庇を初めて見たときはびっくりしました。最初、壁に庇を付けた人は、色々言われたかもしれませんが、理にかなったデザインです。正しいと信じたものは勇気をもって実行していく、それを「いしぐろの町並み」は伝えているのではないでしょうか。

 

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「日本の古民家」探訪


「日本の古民家」探訪もその3となりました、その1、その2では県外の民
家を紹介してきましたが、今回は県内の民家「武田家住宅」(富山県高岡市
)をご紹介します。
武田家は、武田信玄の弟・逍遙軒信綱の子孫と伝えられ、代々地区の代表で
ある肝煎(きもいり)を勤めた家系です。江戸時代後期の安永年間(1772~
1780)に、高岡市伏木の勝興寺本堂が再建されたときの余材で建てられたと
も言われています。
武田家住宅を訪れると、まずは立派な屋根にひかれます。ここでは屋根の材
料として、主に茅、瓦、こけらが使われています。同じ屋根でも材料によっ
て随分と印象が違いますが、使い分けることで武家住宅らしい洗練された雰
囲気となっています。現代の住宅で、これほどの立派な屋根を載せるのは難
しいですが、古民家には、住宅を設計する際のヒントが隠されていると思い
ます。
内部も立派な造りとなっていて、ワクノウチや続き間の座敷、庭を望む縁側
など、農家住宅の造りを基本としていて、古材の魅力を味わうことができま
す。古民家探訪の楽しみの一つは、木材にあります。太さや長さのある立派
な木材、手に入れることが難しい希少な材を使うことは、当時の財力や権力
の象徴でもありました。こうした木材による空間が現代に受け継がれること
は、とても価値のあることだと、訪れる度に感じます。

「日本の古民家」探訪もその3となりました、その1、その2では県外の民家を紹介してきましたが、今回は県内の民家「武田家住宅」(富山県高岡市)をご紹介します。

武田家は、武田信玄の弟・逍遙軒信綱の子孫と伝えられ、代々地区の代表である肝煎(きもいり)を勤めた家系です。江戸時代後期の安永年間(1772~1780)に、高岡市伏木の勝興寺本堂が再建されたときの余材で建てられたとも言われています。

武田家住宅を訪れると、まずは立派な屋根にひかれます。ここでは屋根の材料として、主に茅、瓦、こけらが使われています。同じ屋根でも材料によって随分と印象が違いますが、使い分けることで武家住宅らしい洗練された雰囲気となっています。現代の住宅で、これほどの立派な屋根を載せるのは難しいですが、古民家には、住宅を設計する際のヒントが隠されていると思います。

内部も立派な造りとなっていて、ワクノウチや続き間の座敷、庭を望む縁側など、農家住宅の造りを基本としていて、古材の魅力を味わうことができます。古民家探訪の楽しみの一つは、木材にあります。太さや長さのある立派な木材、手に入れることが難しい希少な材を使うことは、当時の財力や権力の象徴でもありました。こうした木材による空間が現代に受け継がれることは、とても価値のあることだと、訪れる度に感じます。

 

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新築工事

本日、新築住宅の地鎮祭を執り行いました。

地鎮祭とは、その土地の神を鎮め、土地を利用させてもらうことの許しを得ることで、これから行われる工事の安全と、家族の反映をお祈りする儀式です。今後、工事が本格的に行われていきます。

地鎮祭は、上棟式や引渡しなど住宅の工事や、家づくりの中で大事な節目の儀式です。空気の澄んだ朝の早い時間に行ったせいか、辺りには厳かな雰囲気が生まれ、社員一同身の引き締まる思いでした。

Y様は新しい家族が増えたばかりです。ご家族の未来が明るくなるよう、精一杯仕事をさせていただきたいと思います。


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「日本の古民家」探訪


建築に興味のある方でしたら「南部の曲り屋(マガリヤ)」という言葉を聞
いたことがある人もいるかと思います。今回の「日本の古民家」探訪は、南
部の曲り屋を代表する「千葉家住宅」(岩手県遠野市)です。
「曲り屋」とは馬小屋(ウマヤ)と人間の生活空間(オモヤ)を直角に配置
して、L字型で一体にした民家のことをいいます。
江戸時代後期に建てられ、一時期は25人と20頭の馬が一軒の家で生活してい
た。遠野は内陸と沿岸を結ぶ交通の要衝として栄え、馬が主要な移動手段だ
った時代、多くの曲り屋が建設されていました。
この民家は、城郭のような石垣と、巨大な茅葺屋根の、迫力ある外観に圧倒
されます。また敷地内に遺されている蔵や神社も古く、状態も良く魅力的で
す。

建築に興味のある方でしたら「南部の曲り屋(マガリヤ)」という言葉を聞いたことがある人もいるかと思います。今回の「日本の古民家」探訪は、南部の曲り屋を代表する「千葉家住宅」(岩手県遠野市)です。

「曲り屋」とは馬小屋(ウマヤ)と人間の生活空間(オモヤ)を直角に配置して、L字型で一体にした民家のことをいいます。江戸時代後期に建てられ、一時期は25人と20頭の馬が一軒の家で生活していました。遠野は内陸と沿岸を結ぶ交通の要衝として栄え、馬が主要な移動手段だった時代、多くの曲り屋が建設されていました。

この民家は、城郭のような石垣と、巨大な茅葺屋根の、迫力ある外観に圧倒されます。また敷地内に遺されている蔵や神社も古く、状態も良く魅力的です。

 

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先日、弊社創業30周年記念式典・祝賀会を開催致しました。

記念式典では、来賓の皆様からご丁寧な祝辞を賜り、誠にありがとうございました。

祝賀会では、高原兄さん、TOMOMIさんをお招きしてのコンサート、スキー・ジャンプの長野オリンピック金メダリスト・船木和喜選手とのトークショーの開催もあり、大変盛況な会となりました。

当日ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

こうした式典を開催することができたのも、ひとえにお客様、一緒に仕事をさせていただいた皆様、お世話になった皆様のおかげであり、心より感謝申し上げます。

今後とも共栄ホームズをよろしくお願い致します。

 

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「日本の古民家」探訪

建築に関わる仕事をしている人はたいてい建築好きで、休みの日も各地の建築を見てまわる、という人が多くいます。ご多分にもれず当社の社員も、時間を見つけてはあちこち歩いています。
その際に撮影してきた写真を、今後少しずつお届けしたいと思います。写真を通じて、建築の魅力や、家づくりの楽しさを再発見してもらえればと思います。
 

最初にお届けするのは、「旧花田家番屋」(北海道小平町)です。

 

明治から大正にかけて、北海道沿岸ではニシンを中心に豊漁の期間が続き、その間本州から北海道へ、1年のうちに何ヶ月か漁夫として働きに行っていた人達がいました。

番屋とは、漁場を経営する網元と、彼ら漁夫が一緒に生活するための建築で、北海道ならではの建築です。
番屋では網元の住まいと、漁夫の生活する場所が半々に別れています。網元の住まいは座敷や床の間など、貴重な木材を使いながら格式高く仕上げられています。漁夫の場所は、「ネダイ」と呼ばれる寝台がコの字型に配置され、全体に大きな屋根を架けた迫力ある空間が広がっ
ています。
今でこそ木造でも大規模な建築を造ることは可能ですが、100年以上前(明治38年頃建築)にこれほどの大きさで造られたことは驚きです。

 

 

 

 

 

 

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