たまたまTVを見ていました
最近の 私の廻りの出来事などから 「命」の大切さを 嫌でも意識させられました。
昼間は たまたま BOOKOFFで 50円セールという破格な値段 で手に入れた、斉藤智裕(水嶋ヒロ)さん 著「ガケロウ」を 読んでいました。この本も 「命の大切さ」を 書いた内容ですし、
そして たまたまTVを点けると 深いイイ話で 「命の大切さ」というテーマで 放送されておりました。 いつもこの時間は ゲームか、読書で TVは 横で ただ流れているだけという形がほとんどなのですが、今日は なんとなく見ていました。
何か ひとつひとつの事柄が 1本の線で結ばれた様な 不思議な感覚を覚えました。
TV「深いイイ話」 であった中で 一番記憶に残ったのが、病気の末期患者が笑顔でこの世を去ってゆける病院というのが ありました。 どういう事かというと最後に 末期患者の願いことを叶えてあげるというものでした。 その願いの中のひとつにとても共感できる願いが あったので、この内容を 書こうと思いました。
「最後に 我が家に帰りたい。今まで手をかけてきた我が家の 庭を見たい」
という言葉。
私も 末期患者では なかったにしろ 退院がいつか望めない腎臓病で入院をしていた時には 常々こう思ったものでした。
その頃 私にとっての「家」とは 「実家」の事でした。
それから結婚をし、今は 新たに新築した 「我が家」に住んでおります。
新築をして 早3年が経ちました。
入院中 私が 思った 「帰りたい。何としても帰りたかった家」。 今住んでいる家が その「家」に値するかと言われると 答えは NO。では ないでしょうか。
たった3年では まだそう思えないのは 私事 だけではないのではないでしょうか。
この先 5年 10年と 新しい我が家と 住んでいくことにより 家族の思い出などが 家に染み込み 本気で そう思える家に なってゆくのではなかろうかと思います。
家は 確かに劣化してゆきます、が それに伴い 思い出が染み込んでゆきます。だから 「帰りたい」と 思うのでしょう。
機能性 効率性 目新しさ これらの価値を凌ぐモノを 家に 与えるのは やはり「家族の姿」なのではなかろうかと思います。
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