東北といえば 忘れてはいけないのが、3・11 東日本大震災です。
特に 皆さん メディアなどで 伝えられた映像で 有名なのが、南三陸町防災対策庁舎ではないでしょうか。
この建物は 津波の直後のままの姿が 今もなお 残っています。東日本大震災を風化させてはならない。東日本大震災で学んだことを我々は 忘れてはならない。という教訓として残してあるそうです。
この建物の1階の中央柱には 1枚の Tシャツが結びつけられています。これは この庁舎の課長さんのモノだそうです。課長さんは 部下を先に避難させ、自分は 逃げる事なく最後まで この場所で 住民の為 津波の状況、避難指示の放送を続けたそうです。
住民は 聞いたそうです、課長が 最後までマイクを握り続け、大津波が来て そのマイクから 津波の音が「ガァーー」と鳴り響くまでの 一部始終を。予想するに ギリギリまで避難を呼びかけた課長が 津波に呑み込まれるまでの 一部始終を。
マイクからは課長以外の声も聞こえたそうです。
「課長!もうだめだ 早く避難してください!!」
「大津波がきます!課長 早く 避難を!」
防災対策室責任者としての 最後の最後まで 自分の仕事を やり遂げたということです。 住民の為 死を 覚悟していたとしか 思えません。
果たして 我々は 命がけで 仕事をしているのか もう一度 自分に問うてみたいと 思いました。
最後に なりますが、庁舎 1階 柱に結んである Tシャツは 一度は課長の奥さんの元へと 返されました。しかし 奥さんは 「主人は 家にもどらないで 亡くなってもなお きっと この庁舎へ帰るだろう」 と この庁舎へTシャツを結んだそうです。
課長の 遺体は 未だに 発見されては いないそうです。
市長は 無くなった街、財源もなくなったこの街に この建物は残してくれと 泣いて 懇願したそうです。
ほんの一部の断片的な 東北大震災の情報ですが、心が掻き毟られる様な感覚が 私には感じられました。 我々には もっともっと 学ぶべき事がある思いです。