昨日、 家に帰ると 子供が 腕時計が 壊れたと 深刻そうに 言ってきました。
習い事の 習字に行く際に、時間ギリギリで 急いで 付けようとしたら 壊れた とのことでした。
時計バンドの 金具の部品が 取れて バラバラになっていました。
直そうと思い、取り組むも 部品が一つ どうしても足りない。
夕方だったのですが、時計が 壊れたという場所を聞き、その周辺の 道路を くまなく 探したのですが、見つからず。 3mm程度の部品だったので、見過ごした可能性は あるのですが。 暗くなってきて 不審者に 見られる可能性も あったので、探すのは 中断しました。
家に 帰り、学校の宿題をしていたので 見つからなかった事を 報告したら、 自分の お小遣いを 貯めて持っている 3000円で 直せるか 聞いてきました。
この時計は 私が 娘に 1年ほど前に 600円で買って来たモノで、 本来 3000円も かけて直す価値はないと 大人は 判断し 思うのですが、 子供にとっては 違うみたいですね。
「わざと やった事じゃないから、お金は 要らないよ。」 と 今度 時計のリペアショップに 持ち込む事にしました。 ここまで言われると もう、いくら かかるか なんて心配は していません。
なんか 心温まる 感じがしました。
純粋な 気持ちや 感情の 表現。 大人は 反省するべき所は たくさんあると思いましたし。
建物でいう 『再生住宅』にも 通ずる 話でもあると 思いました。